2013年12月



ーー−12/3−ーー 特注のメリット  


 
 馴染のお客様から、ダイニングセットの注文を頂いた。テーブルは、裏面に引出しを設けたタイプである。納品した後、お客様と電話連絡をする機会があり、テーブルの仕様が決まるまでのエピソードを聞いた。

 品物は、最近結婚した娘さんへのプレゼントだった。女性陣は、引出し付きのテーブルが便利だろうと考えた。しかし旦那さんが、標準から外れた注文をする事に抵抗感を示したとの事。それに対して奥様が、「どうせ注文で作って貰うのだから、遠慮しないで、欲しいものをお願いした方が良い」と説得したとのこと。奥様のお考えは、まことに正しかったと思う。

 話は全く違うが、学生時代に登山靴を新調したことがあった。東京は飯田橋の登山靴専門店。店の棚に並んでいる靴を試したら、合うものが無かった。すると店主は、特注で作ると言う。私は、値段が高くなるのではないかと不安になった。それを口にすると、「棚にあるものと、値段は変わりません。どうせうちで作るんですから、同じことです」と言った。

 足のサイズを計り、型を取って、作って貰った。現在ではどうか知らないが、昔の登山靴専門店は、そういう事をやったのである。

 出来上がったとの連絡があったので、取りに行った。お店の中で試しに履いてみると、足の一部がちょっと当たって、きつかった。それを店主に告げると、「それでは作り直しましょう。またしばらく日数を下さい」と言った。私は驚いて、「ではこの靴はどうするんですか? 無駄になってしまいますよね?」と聞いた。すると相手は「棚に並べておけば、いつか足に合う人が現れて、買ってくれるかも知れません」と言った。

 大量生産品は、少しでも標準から外れると、製造単価が跳ね上がる。以前聞いた話だが、システムキッチンなどは、少しでも標準と違う寸法の物を特注すると、信じられないほど価格が高くなるとの事。その点、一品生産品は、元々格安の値段では無い代わりに、要望を盛り込んでも、極端な値上がりはしない。不安なら、見積りを取って確認してみれば良いだけのこと。先に述べた奥様の見解は、正しかったのである。

 ところで、登山靴というものは、登山家にとって、とても重要な道具である。足に合わなければ、大変な苦労をする。この店主の態度には、そういう大切な物を作っているのだというプライドが感じられた。

 この店主の目から見れば、登山中に底が剥がれてしまうような昨今の登山靴は、どのように写るのだろうか。




ーーー12/10−−− 月曜始まりのカレンダー


 年末になって、付き合いのある所から来年のカレンダーが届いたりする。書店には、たくさんのカレンダーが並んでいる。それらを見て、思い出したことがある。

 数年前、月曜日始まりのカレンダーが、ちょっとした流行の兆しを見せた。そういう品物が出回り始めたのである。私も目にしたことがあったが、違和感を覚えたような記憶がある。

 県内向けのあるラジオ番組で、当時ちょっと人気のあった放送作家が、「欧米のカレンダーは月曜始まりです。日本だけ日曜始まりというのは、国際感覚からずれています。これからは、我が国も月曜始まりのカレンダーを使いましょう。だいいち、オシャレだし」とコメントしていた。

 その流行は、一時は盛り上がりを見せたようだ。しかし数年を経ずして、急速に衰えたように思う。現在では、書店の店頭でも、月曜始まりのカレンダーを目にすることは、ほとんど無くなった。

 月曜始まりのカレンダーが、国内で市民権を得なかったのは、利用者に混乱をもたらしたためではないかと想像する。例えば、日曜始まりのカレンダーなら、火曜日は左から三番目だが、月曜始まりなら二番目である。従来のカレンダーに慣れ親しんだ目には、この違いでミスを犯す可能性がある。

 ビジネスの世界で、日にちを間違えるのは一大事である。納品日を間違えたり、契約日を取り違えたりしたら、大変な損害を被る。一方、忙しく働く現場で、目の前のカレンダーがどちらのタイプか、いちいち確認などしないだろう。恐らく、国内のいたるところで、新し物好きが持ち込んだ新型カレンダーのおかげで、トラブルが発生したものと思われる。

 新しくて、国際感覚にマッチしていて、オシャレな代物でも、日常生活に混乱を招き、最悪の場合、実害をもたらすような物は、受け入れられないのである。放送作家というのは、面白おかしい事を発信するのが仕事なのだろうが、その口車に乗り、迂闊に行動をして、臍を噛んだ人も、県内に多かったのではないかと想像する。




ーーー12/17−−− 北ア山麓で鮭漁


  穂高市街から、犀川の方へ向かって少し行った所に、等々力家という歴史的建造物がある。松本藩主の本陣として使われた建物で、なかなか立派なお屋敷である。以前そこを見学した時、説明書に、藩主がここに泊まって、犀川で鮭漁を楽しんだと書いてあった。犀川で鮭?と、不思議に感じたのを覚えている。

 鮭は、日本人にとって、とても人気があり、また重要な魚であると言われる。しかし現在では、獲れる地域は限られている。北海道が漁獲高の八割以上を占め、残りは岩手、宮城、青森などの東北地方の県が担っている。江戸時代とはいえ、長野県で鮭が獲れていたというのは、ちょっとした驚きだった。

 ところが、である。大町市在住の友人にこの話をしたら、大町市郊外の高瀬川でも、最近まで鮭が獲れていたと言うので、さらに驚いた。最近と言っても、大正時代あたりの話らしいが、地元の仲間の父親が体験した事だというので、ひどく昔の話ではない。

 鮭が遡上する時期になると、村の男たちは川岸に集まる。くじを引いて、それぞれの漁場を決める。いざ、鮭が上がってきたら、男たちは各自手に持った棒で叩いて、鮭を獲る。叩いて獲るのである。浅瀬に乗り上げるようにして泳ぐ鮭を狙ったのであろう。水中深く泳いでいる魚を、棒で叩いて獲れるはずがない。そんな方法で獲れたのだから、数もきっと多かったのだと思う。

 思い浮かべれば、なんとも愉快な光景である。男たちが、ワーワー叫びながら川に入り、こん棒を振るって鮭を打つ。獲れた魚を担いで、家に戻る。女房たちがせっせと料理をする。子供らは狂喜乱舞。食卓に鮭の料理が並ぶ。新鮮な魚が手に入り難い信州で、これは破格の出来事だったろう。しかも、イワナやヤマメなどと違い、一人では食べきれない大きさの魚である。人々の興奮ぶりは、想像に難くない。

 戦前から戦後にかけて、犀川に多くのダムが作られ、川の流れが堰き止められた。そのため、回遊魚の遡上が不可能になった。もはやこの地域で鮭を見る事は無い。ダムを悪者にしても仕方ないが、ダムが河川の生態系を狂わせたことは間違いない。繰り返しになるが、昔は、日本海の河口から300キロメートル以上を遡った、北アルプスの麓で、鮭が獲れたのである。




ーーー12/24−−− ビールもどき


 年末年始は、酒を飲む機会が多くなるが、酒の席に参加しても、酒を飲むことができない人々がいる。それは二種類に分かれる。一つは体質的に酒を受け付けない人々であり、もう一つは、車の運転を控えていて、酒を飲むことを禁じられた人たちである。

 前者は、酒の代わりにソフトドリンクなどを注文する。酒が飲めないのなら、酒席に参加しなければ良いではないかと、私のような呑兵衛は考える。酒を飲んで酔わなければ面白くないし、酔っ払いの醜態に付き合うのも苦痛ではないかと想像するのだ。ところが実際は、忘年会などに顔を出し、長々と酔っ払いの相手をし、最後は車で順番に家まで送り届けたりする、奇特な人たちがいる。

 当人たちの話によると、そういう飲み会が結構楽しいと言う。酒の席の雰囲気が、楽しめると言うのである。酒を飲むと、人には普段とは違った面が現れる。それに接するのが興味深く、面白いらしい。なんだか生物観察のような感じで、見られている方は、平常時なら恥ずかしく思うだろうが、酔っぱらっていれば気にしない。酔っ払いと、シラフの人間が、平行線のような状態で、お互いに気兼ねをすることも無く、しばしの時を共有するのである。そのシチュエーションが楽しいと言う気持ちも、分からなくはない。

 さて、後者のケース。酒席に参加しながら、車の運転のために酒を我慢せざるをえない人の場合。そういう人たちのために、ノン・アルコール・ビールなる飲料が商品化されている。これを注文するのは、本来はビールを飲む人である。元々ビールを飲まない人が、ノン・アルコール・ビールを求める事は無いだろう。好きでもない飲料の真似物を、わざわざ飲む必要は無いからだ。ビールを飲みたいが、事情があって飲めないので、それに似た味がする飲料で誤魔化すという流れである。誤魔化すと言うと、語弊があるかも知れない。その場の雰囲気に合わせての、苦肉の選択の場合もあるだろう。ジュースを飲むよりは、まだましだという気持ちも、理解できる。

 このノン・アルコール・ビールに関して、ちょっと考えさせられる経験をしたことがあった。昨年、家内と北アルプスは鹿島槍ヶ岳に登った時のこと。昼過ぎに、冷池山荘という山小屋のテント場に着いた。テントを張り、山小屋までビールを買いに行った。すると、お品書きの中に、ノン・アルコール・ビールがあった。私は「えっ」と思った。ここは山の上である。飲んだ後に車を運転する可能性はゼロである。いったい誰が、どのような理由で、ノン・アルコール・ビールを買うのだろうか?

 困難な想像を巡らした結果、このようなケースかと思った。この山小屋まで登ってきて、ビールで喉を潤したくなったのだが、先の行程を考えるとアルコールは体にこたえる。そこで、喉ごしの清涼感だけを味わうために、ノン・アルコール・ビールを買う、という発想。考えられない事ではない。

 そういう行動を取るのは、ある意味、真面目な人なのだろう。山の頂上などで、缶ビールを飲んでいる人を見かけることがある。そういうのは好ましくないと思う。酔って山道を歩くのは、危険でもある。その点では、ノン・アルコール・ビールは、真面目な選択だと言える。しかし、私がそのような状況だったら、スポーツドリンクでも買うだろう。酔えないビールもどきで、体の欲求をまぎらすことは出来るかも知れないが、それは自分に対して、そしてビールに対しても、ちょっと不誠実な気がするからだ。





ーーー12/31−−− 大晦日


 
今日は大晦日。ちょっと一年を振り返る気分になった。

 稼業は相変わらず低空飛行。地面すれすれである。しかしまあ、怪我もせず、また新しい作品がいくつか出来上がったので、それなりに良く過ごせた一年だったと思う。

 健康面では、前半は腰痛に悩まされたが、6月下旬に2時間のウォーキングを3回ほど続けて行ったら、ピタリと納まった。これは嬉しかった。その後は、一日の始めに30分程度のウォーキングを行う事を日課とした。腰痛には、歩くのが良いようである。

 趣味の登山では、昨年から始めた夫婦テント山行が、早くも頓挫した。しかし、特別の障害があったわけではなく、たまたまスケジュールの調整が上手く行かなかっただけのこと。また来年に期待したい。それでも家内を連れて、日帰りで近場の山をいくつか登って、楽しかった。また、友人たちと登った5月の爺ケ岳や、夏にテント泊で実施した、30年ぶりの八ヶ岳も、良い思い出になった。

 心身のリフレッシュと体力トレーニングを兼ねた裏山登りは、日々の生活の中で大変重要なものだが、昨年は100回登ったのに、今年は58回と大幅にダウンした。そのためか、体重が多めに推移し、体の切れがいささか鈍くなったように感じた。これは来年の、具体的な課題である。地元では、私より少し年輩で、似たような規模の山(光城山)を、1000日連続で登った人がいるといういから、手本にしなくては。

 全く新しい展開としては、11月から、キリスト教の教会へ、通うようになった。日曜ごとの礼拝に参列。まだ信仰と呼べるレベルのものではないが、祈りを通じて、心の支えを得られることを、有り難く感じる。

 家族一同、病気も怪我も無く、この一年を過ごせたことに感謝したい。世界には、気の毒な状況で苦しんでいる人々が数多くおり、自分たちだけが幸せであれば良いと思ってはいけないが、平穏な生活の幸せを、しっかりと心に刻みたい。

 今年もマルタケ雑記をご愛読いただき、有難うございました。来年もよろしくお願いします。

 皆さまにとって、良い一年が訪れますよう、お祈りいたします。






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